推し方は十人十色でええじゃないか
"推し"の近影や言動や思いなどに一喜一憂することは、日々に潤いを持たせキラキラと輝かせてくれるもの。少女だったあの頃のように容易くときめいて、胸が、目が熱くなり、鼓動が高鳴る(不整脈の方にはお薬出しておきます)
便利な世の中なので、推しの姿や発言や過去の姿までもが、あちこちで見られる時代(違法アップロードは辞めましょう)
Twitterに於いては最新情報が知れる
Twitterをしていなかったら見られなかったものや、知らなかったことも沢山ありました
時には知りたくなかったことも目にしてしまうことも
そこは自己責任なので"自衛"するに限りますね
Twitterを始めてから、応援の仕方も色々あるのだなと知りました
テレビ番組やラジオ・雑誌等への感想、要望
それもメールやハガキや電話など方法も様々
思いを文字に認めることが得意な人
イラストが描くのが上手な人
メールで文章を書くのが得意な人
気持ちを言葉で表現するのが上手な人
番組を盛り上げるべく、想いをいち早く伝えるべく、その行動力には頭が下がります
自分の時間の流れとは違う速さで進むTL
自分の感情とは違う言葉が行き交うTL
知らなかったことがどんどん増えて、どんどん流れて、どんどん取り残されてゆく感覚
どこかで応援の熱が高まり、疎外感で寂しく感じる時もあります
私も応戦しなくてはいけないのだろうか?と、ちょっとした強迫観念に駆られる時もあります
そうやって一人で勝手に落ち込んでも、時は過ぎゆくもの
私は私の生活があって、私なりの時間の使い方がある
発売日にCDが聴けなくても、DVDが見られなくても、FC動画が見られなくても、その時つぶやきたいことをつぶやけばいいと思うのです
「私はすぐに見られるから、いまツイートしよう」
「私はすぐに見られるけど、他の人はすぐ見られないかもだからツイートは少ししてからにしよう」
どちらも間違ってないと思います
自分のアカウントは、自分のTLは、自分のもの
誰かの楽しみを奪うのだと考えるなら、それは一つの思いやり
私はリアタイできるものは限られているので、リアタイできるものに関してはなるべくタグをつけてツイートしますが、それも自由だと思います
TLを見て、誰かのツイートを見て、私が、あなたが心を騒がせる必要はないと思うのです
毎日楽しく過ごしたいのは皆同じ
だったら、楽しく変えてしまえばいい
誰がなんと言おうと好きな時に、好きなだけ、好きなように
ただ、誰かを名指しで傷つけたり貶したり違法さえしなければ
"推し"にたくさん時間を割いてお金を使って思いを届けていることは素晴らしいことだと思う
それが、その人の、"推し方"
それを真似する必要や、強要されることもない
私は、あなたは、無理のない範囲で、好きなように推せば良い
だれも「あなたもやりなさい!」とは言っていない
そういう雰囲気にのまれず、自分のペースで、私生活を大切にして、健康に過ごせれば
※個人の感想です
※宗教かよ